【ビーガンが教えてくれたもの/エッセイ】
~vol.2 /~食べ物、食べることへの疑念~
父親がステージ4のガン宣告を受ける
母親から「お父さんがガンかもしれない」と暗い表情で言われたのは、私が21歳の時。当時は実家を出て一人暮らしを始めていたので、父親の不調をまったく知りませんでしたが、よく腹痛を訴えていたようです。
もともとスリムな体型の父ですが、お腹が極端にポッコリ。まるで信楽焼のたぬきみたいだと笑い話にしていたのですが、結果、診断はstage4の大腸ガン、即入院で即手術。
腫瘍を取りのぞくことは成功したものの、数年後に再発するかもしれないとのこと。
しかし、父は非常に前向きで明るい性格だったので、その後入退院をくり返し、肺に転移して酸素ボンベを持ち歩くようになってからも、できるだけ仕事〈自営で呉服店経営〉を楽しんでいました。
〈本当は、相当な痛みがあったはずですが、家族が怖がったり暗い気持ちになるのを逆に気遣って明るく振るまってくれました。優しくて、強い父親でした〉
51歳で発病し、およそ7年の闘病の末に57歳で他界。まだまだ若くて、あんなに元気だったのに、どうしてこんなことに?
親戚一同、誰もがそう感じていました。父の葬儀の時、ふと、こんな声が聞こえてきました。
「やっぱりねぇ、食べ物よ」
私は、この言葉が今でも耳にこびりついて離れません。
やっぱり、食べ物?食べ物が悪かったから、ガンになった?
半分は、ちゃんと父の体調を管理できなかった自分たち家族が責められたような気もしたのですが、もう半分は「……そうかもしれない」と思いました。
父が、どんな食事をしていたかを思い起こしてみました。
好きなものをお腹いっぱいになるまで食べて、お酒も人の3倍飲んでいたな。
濃い味つけの料理に、さらに食卓の醤油やソースをジャボジャボかけて、母に注意されていたな。
野菜はあまり好んで食べずに、色味が良いもの (発色の良い漬物やお肉) を好んで食べていたな……。
社交的でいろいろな業種の人とのつながりがあり、食についても全く知識がないわけでなく、例えば、
「●●って、ほとんど栄養はなくて水分なんだ」
「肉は、鮮度をよく見せるために、粉を振ってあるんだよ」などと、私に話してくれたこともあったのです。
今思えば、それは慣行栽培の栄養のない野菜であったり、添加物や着色料にまみれた肉のことを指しているのですが、そう知りながらも、食べることをやめるわけではありませんでした。
なぜでしょうか。みんなが食べているものだから?安全性を疑わなかったから?
不幸は、終わらなかった
残された母が亡くなった父の後を継いで呉服店の社長となり、私はライターの仕事をしながら、趣味が高じてカフェを開店しました。
大黒柱を失っても、なんとかやっていかなければならない、と覚悟をきめていた矢先、母も乳がんになり、父を追うように3年後に亡くなりました。
さらに、痴呆症になった、たった一人の祖母が、97歳で擁護老人ホームで亡くなりました。
この時、私の中で、食は間違いなく命に関わることを確信しました。
また、食べる物だけでなく、父も母も超ヘビースモーカーだったことや、老いても気丈に一人暮らしをしていた祖母が、人の手を借りて何もせず過ごせるようになった養護施設の環境、ライフスタイルも健康に関与すると直感したのです。
それぞれが違うものを食べて過ごす生活
自分が普段食べているものや、生活習慣を改めて考えてみました。
・好きなものを中心に、贅沢な食生活を好んで50代でガンで亡くなった父と母
・97歳、素食で腹八分目、医者いらずで老衰で亡くなった祖母
〈祖母は、お酒やたばこを、ほんの少したしなむ程度。老いても自立を好み、日頃から摂生に努め、95歳で老人ホームに行くまでかかりつけの医者もなく、薬なども必要ない生活をしていました〉
・一般的なスーパーで、お買い得な商品や市販の調味料を多用する姉妹
・生の野菜が好きで、おかしもほぼ摂らず、動物性食品を避ける私の食生活
同じ血を分けた家族でも、それぞれが違うものを食べて過ごすライフスタイル。
そこに、遺伝だけではない、病を発症する原因があるのは疑いようがないと思ったのです。
「やっぱり、食べ物よねぇ」
私たちが食べているものは、どこからやってきて、何からできているのだろう。
いつも利用するスーパーへ行って、パッケージの裏をチェックするようになりました。
カタカナの、よくわからない文字が、たくさん並んでいます。
「そんなこと気にしてたら、何も食べられない。どんなものにも、入っているんだから!」
母も、そう言っていましたが、確かに、私の暮らす街のスーパーで売られている商品、あらゆるものにカタカナ成分がズラリ。でも、これって、必要?何のために必要?
なんだか、気持ち悪い……。
みんなが食べていれば、安心していいのだろうか。本当に、安全なのだろうか。
私は、常にそのことを考えずにはいられなくなっていました。
本当のことが知りたい、と強く思いました。
ライターとして、飲食店取材の際は、単なるお店やサービス紹介から、店主の思想やこだわり、扱う素材の情報までを伝えるようになっていきました。
街中で育ち、田舎 (田舎で暮らすおじいちゃんやおばあちゃんがいない)を持たないで育った私は、日本の農についても無知でしたが、ライターの仕事を通じて、私たち消費者が直接知りえぬ様々な事情、食のシステムがあることに直面し、ますます「食」に対する疑念がつのっていきました。
それでも、私の周りには、食に対する疑問を口にする人がいなかったので、どんどん孤独になっていきました。
一体、何を信じればいいのだろう。
「食」で救える命があるのなら、私たちは、何を選ぶべきなのか。(続く)
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