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ビーガンが教えてくれたもの【エッセイ】

ビーガンが教えてくれたもの/エッセイ
vol.1/生まれつきビーガン体質

ビーガンライターの出発点

私がビーガンと向き合うきっかけになったのは、2021年。つい最近のことです。

コロナ禍2年間の山梨暮らしを終えて、東京に戻ってきたタイミングで、ビーガンパティシェの友人からビーガンについての記事を書いてほしいという依頼をうけました。

これまで20年以上 (ライター歴と同じくらい) 菜食中心のオーガニックライフを一人コツコツ続けていますが、正直ビーガンについての知識がなかった私。

日本では、ビーガンは難しい、変わり者、宗教みたいだなどというネガティブな声が聞こえてきますが、友人の依頼があって以降いろいろ調べてみると、まず自分との接点があまりに多いことに驚きました。

ビーガンの思想にも共感できる部分がたくさんあったので、すんなりとビーガンを受け入れることができ、ワクワクしながら記事を書き始めました。

「ビーガンは肉を食べない人でしょ!」と、まだそのくらいの認識の方も日本には多いと思いますが、これは間違っています。

たしかに、ビーガンは肉を食べませんが、魚も、乳製品も、動物性食品や動物由来の原料からできたあらゆる製品を避けます。それは日用品やファッションにおいても共通しています。

そもそも、ビーガンはただのベジタリアンではなく、動物愛護という哲学があり、次に環境問題や個人の健康、最近ではエシカルな視点からビーガンを生活に取り入れる方もいます。

タレントが勧めているから、流行のひとつと勘違いされているかも?

海外では、すでにビーガンはひとつのライフスタイルとして定着しており、レストランやカフェに行ってもビーガンオプションがあたりまえに用意されています。日本も早くそんな状況になればと願っています。

日本では、健康志向からビーガンに興味を持つ人がほとんど

日本では、とりわけ「健康」目的でビーガンに興味を持つ方が多く、私もその一人です。そのことは、悪いこととは思いません。

グリッシー (油っぽい) な動物性食品や、栄養が失われた加工食品中心の食生活に比べて、菜食がカラダにやさしいのは明白です。

現代病、生活習慣病と言われるものは、食だけが理由ではありませんが、私たちが毎日口にするものが関係していることを誰もが知っています。

しかし、便利なものや、季節を問わずいつでも手に入る食材に慣れ、贅沢を極めたような料理を知ってしまった私たちが、これらをいきなり断つのは、本当に厳しいチャレンジになるでしょう。

日本では、動物性食品も植物性食品も、バランスよく組み合わせて食べることが健康的であるという教育です。海に囲まれ、ダシの文化も根づいているので、ビーガンが和食をお店でいただく場合、ほぼNG。

日本でビーガンになろうと思っても、選ぶ側も提供する側も、何をどうすればよいのかわからなくなるのは仕方ないことかもしれません。

ビーガンはひとつの生き方

最近、いろいろなビーガンの方とお会いすることが増えましたが、多くの方がもともと肉が大好きだったのに、動物の虐待や環境破壊の問題、普段の暮らしの中では表に出てこない現実を知ったことで、動物性原料の食品や製品を避ける決心をされています。

Z世代と呼ばれる層が特に多いです。反対に、50代以降の層にビーガンを理解してもらうのは、これまでの常識からはありえない考え方からか、難しい場合が多いようです。
〈私は、52歳になったばかりですが……〉

ビーガンが正しいという話ではなく、自分の考えを生き方として実践するビーガンの方々に、私はある種の尊敬の眼差しを送っています。

単純に考えても、私のように元々肉や魚や卵、乳製品が好きでない人がビーガンになるのとは、嗜好をコントロールする精神力やガマン度もレベルが違うわけじゃないですか!しかも、自分のためだけでなく、生物や地球、未来のためにですよ!

ビーガンのことを知ろうともせず、否定から入ってしまう方に聞きたい、あなたは、自分にとっての欲望の何かを、今すぐガマンしたり手放すことができますか?

今の日本はお金の国と言われるくらい、価値観の一番にお金があって、たとえば恋愛結婚ができない国などと揶揄されます。本当の意味で、人にやさしくなれない国のどこが平和なんでしょうか。

日本人の心を求めて海外からやってくる観光客の方々が、お金だけで旅人を判断するような扱いを受けないか、心配になるくらいです。

私も、うっかりすると、自分を優先させてしまうことが多々あります。ビーガンの方々に出会って、そういった行動や振る舞いは、恥ずかしいものだなと意識するようになりました。

食わず嫌いでワガママ、というレッテル

話を戻して、私のこれまでを振り返ると、18歳くらいまでビーガンの食生活そのものでした。

もちろん、当時はそんな言葉も概念もないので、ただの「食わず嫌い」「わがまま」というレッテルを親にも学校の先生にも張られ、挙句、こんな飽食の時代なのに栄養失調になりました。

誤解ないよう言っておきますが、菜食でもバランスの取れた食事をしていれば問題なかったはずです。

当時はだれも正しい知識を持っておらず、私の場合は食べられるものだけしか口にしない最悪の食生活だったので、健康を害してしまったのは、ある意味当然のことです。

社会人になると、毎日のように仕事先の方々との飲み会や、飲食店取材、テレビ番組でのグルメレポートに追われるようになりました。〈地方局でラジオDJや司会業をしていました〉

そこで、ある時から、強制的に何でも食べるという食生活に切り替えざるをえなくなりました。ビーガンになることと、全く真逆の決心です。

みなさんは、あまり食べたくないものを口にしなければならない時、どんな感じですか?知人のお宅に招かれた際に、苦手な食材の料理をお皿に山ほど盛られて「どうぞ、たっぷり召し上がれ」といわれた時。

たぶん、息を止めて無理やり口の中に入れて、味わうことすらなく水と一緒に飲み込むような感じではないですか?気遣いのある方なら「おいしかった、ごちそうさま」と、つくり笑顔まで頑張っちゃうかもしれませんよね。

そいみん。

私は、アメリカにホームステイしていた時にそれをやってしまい、山盛りのバーベキューのおかわりが出てきて、泣きそうになった経験があります。

私は、ずっとそうやって、ちゃんと食べ物を味わうことを避け、機械的に食べ物を飲みこむ作業をくり返しながら過ごすようになっていました。

おかげで、栄養不足や偏食な子というイメージからは脱出できたのですが、自分に似た悩みを持つ人や相談できる相手もいなかったので、食べること自体が修行のような日々、とても辛かったです。

そんな毎日を送っていた矢先、大きな悲劇に見舞われます。(次回に続く

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