【ビーガンが教えてくれたもの/エッセイ】
~vol.3 /~ビーガンはペットOK?動物を飼うことについて思うこと~
動物愛護のビーガンに対するよくある質問で、「ビーガンはペットを飼ってもよいのか?」というのがあります。
私の周りで、実例がないので答えがわかりませんが、保護犬や猫の世話をするビーガンは多くいます。
ネットで調べてみると、一般的には「飼ってよいかどうか」という問題よりも、今飼っている犬や猫まで菜食にすることに対しての議論が中心のようです。
今回は、そもそもペットを飼うことに抵抗がある私のつぶやきです。
(先に言っておきますが、ペットを飼っていらっしゃる方を否定するつもりはありません。)
実家では長年、多種類の犬を飼ってきた
私の実家では、ポインター、柴犬、ヨークシャーテリアなど、同時期ではありませんが、いろいろな種類の犬を飼ってきました。
なので、基本的には犬好きでありますが、人間とペットの関係性を考えた時、いつの頃からかネガティブな感情が強くなりました。
〈あくまで、個人の感情です。ビーガンであるかどうかに限らず、責任を持ってペットを飼われている方を否定するつもりはありませんので、誤解のなきよう〉
世の中には、犬や猫を家族の一員、かけがえのない友達として、生涯にわたり大事に育てる人がいます。
一方で、虐待を続けたり、商品として動物に関わる人もいます。
どういう状況であっても、命ある動物を、人間がモノのように軽く扱う場面に遭遇してしまうと、私自身はめちゃくちゃ心が消耗します。
ペットを飼うのが悪いと言いたいわけではありませんが、おおよそ人間の気分や思い込みで玩具のように過剰に扱ったり、逆に世話をしたりしなかったりする人をみると、動物が気の毒にさえ思えてきます。
言葉を話せない犬や猫が、いつもとは違う、とくに訴えるような鳴き方などをしているのを垣間見るとき、勝手に彼らの気持ちを想像しているに過ぎないのですが、それでも居たたまれなくなります。
くり返しになりますが、身近に犬がいる生活だったので、ペットはあたりまえのように家族の一員であったし、かわいくて大好きです。でも、私自身は一人暮らしを始めて以来、ペットを飼わないでいます。
都会のど真ん中に住み、家に一日中居ることも少ない生活環境。
ちゃんとペットの面倒を見る自信もないし、気まぐれな人間様(私も含め)に飼われる動物たちが、幸せそうに見えないのです。
〈子供の頃から、動物園や水族館に行っても、動物たちが幸せそうに見えなくて、逆にかわいそうだと思っていました〉
屠殺場から聞こえる、豚の悲鳴を思い出す
人間の都合で動物を殺めない、という精神は、ビーガンが教えてくれることのひとつです。
そういえば、昔、住んでいた場所からそう遠くないところに、屠殺場がありました。
その周辺を車で通りがかると、なんともいえない悪臭が漂い、近づいてはならない異様な空気感と「音」がありました。
「ねえ、あれは何の音 (鳴き声)?」
運転する父親に、無邪気にたずねる私。
「豚を殺してる場所だよ」
人間が食べるために豚を殺す場所……そう聞かされ、子供心にゾッとしたのを覚えています。
建物の中でどんなことが行われているか、当時は知るよしもありませんでした。
私たち人間のために豚が次々に殺されるという現実が、ただただおそろしく、お肉屋さんの前を通るだけで、あの悲鳴と生臭い臭いがよみがえりました。
今思えば、こういう体験も、私の肉嫌いを加速させたかもしれないです。
お祭りの屋台で売られていた、カラフルな「ひよこ」
動物の異常な鳴き声といえば、これも、子供の頃の強烈な記憶。
お祭りの屋台で、よく色のついた「ひよこ」が売られていました。
ひよこに直接カラースプレーをかけて、ピンクやブルーにしてあるのです。今では考えられませんが、少し前まで、あたり前のように行われていました。
狭い小箱に、ギュウギュウに入れられたひよこは、当然ながら身動きできません。
生命力の弱いものは、小箱の中で下敷きになっていたり、カラダの一部がつぶれていました。
〈現代畜産のミニチュア版のようです〉
子供たちは、喜んで親に買ってもらいますが、毒まみれで過度のストレスがかかっているひよこたちは、その後すぐに死んでしまいます。
売るほうも、買うほうも、何か間違っているとは感じるものの、子供の私はどうしていいかわからずただ悲しい気持ちになっていました。
お祭りの屋台でモノを買ってもらったり、遊んだりするのも楽しめなくなっていきました。
人間のエゴ
人間は、残酷なことを好む一面があるのかもしれません。
自分より弱い立場にいるものに強く当たることは、人間の世界でも日常的に起こっています。
誰が一番正しいのかを証明するため、誰よりも富を得るため、エゴの先にある戦争は繰り返されています。
でも、その時に、「これは良くないことじゃないか!」と声に出すのは、誰にとっても勇気がいることです。
命ある動物を、人間がモノのように軽く扱う場面に遭遇してしまうと、めちゃくちゃ心が消耗する
ビーガンが動物福祉を訴えたり、生き物に配慮した世界にしようよ!と叫んでくれる時代になってきて、以前よりも少しだけ、安堵している気の弱い自分がいます。
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